
生まれ変わった中国語教材
創造活動というのは、おきまりのことを許さないという意味で、何かにつけてコストのかかることである。
しかし、将来のことを考えると、何と言っても教育にコストをかけることは必要なことではなかろうか。
文化遺産として多くの「もの」を残すことも大切だが、何と言っても「人」が大切である。
このことを考えて、経済大国というのなら、それにふさわしい予算を教育のために使うことを、もっと真剣に考えるべきである。
幼児教育の問題について、臨床心理学の立場から考えてみたい。
幼稚園において、あるいは、保育園において、教師や保母が幼児に接する場合について、具体例をあげて考えてみよう。
実際の教育現場においては、日々いろいろな問題が生じるものである。
たとえば、現場においてよく問題となる絨黙症の例について考えてみよう。
子どもたちがはじめて入園してきたとき、必ずと言っていいくらい、一言もものを言わない子どもが二、三人はいるものである。
しかし、それほど焦らずにゆったりと接していると、子どもも園になれるに従って、口を開きはじめる。
それで、最初のうちは誰もそれほど心配しないものだが、二、三ヵ月たっても何も言わないとなると、教師の方でも心配になってくる。
家庭に連絡すると、家ではよく話をしているのに不思議だと言う。
一般に絨黙症といっても、場面絨黙が多く、家庭では話をしていても、家庭外ではまったく口を開かないとか、幼稚園などでは、ものを言わないということになる。
ここで、先生がこの子のことをもっと「科学的」に知りたい思い、何かのテストを施行した場合を考えてみよう。
口がきけなくても、動作性のテストならできる。
そこで発達検査をしてみると、意外に結果は低く、発達指数が六〇そこそこという値が出た。
先生はこの数字を見て、がっかりしてしまった。
単に絨黙ということだけではなく、発達遅滞が重なっている。
そこで先生は、この子に無理強いをせずに少し様子をみることにした。
ものを言わない子に皆の前で無理にものを言わせようとして、心を傷つけてはいけない。
そこで、子どもたちに順番に何かを言わせるときも、この子をとばして当てないことにした。
先生は子どもをうまく取り扱うためには、子どもをよく観察することが大切だということを知っていた。
だから、遊び時間などには、特にこのものを言わない子の行動を観察することにした。
そうすると、この子は皆からはずれてボーッとして一人でいることが多いこともわかってきた。
このように仲間とつき合う力もなく、発達の遅れもあるとすると、おそらく、この一年間のうちに口を開くことはあるまい、と予想された。
そして、その子は、事実、先生の予想どおり一言もものを言わないままに、年長組にはいることになった。
自然科学は、自然現象を観察することからはじまった。
自然現象をよく観察していると、そこに一定の法則があることがわかり、ある原因からは、その法則に従って一定の結果が生じることが明らかになってきた。
ある物体に対して力を加えるとき、その物体がどのような状況のなかで運動するか、たとえば、空気のなかをとんでゆくということがわかっていると、その物体の運動を確実に予測することができる。
このようにして、物理学の体系ができあがってきたのであるが、問題はそのような考えが、そのまま人間にあてはまるだろうか、ということである。
先に示した例について考えてみよう。
先生は子どもをよく観察し、テストまでやってみた。
その結果、仲間との交友はきわめて困難であるし、発達遅滞ということも明らかになった。
先生はそのような条件から判断して、これは一年以内に話をしないだろうと予想し、しかも、一年後には先生の判断の正しかったことは立証された。
これがもし、対象が「物」であるならば、先生の態度は正しかったと言える。
しかし、ここでわれわれが、対象が生きた人間であり、それに対して先生も生きた人間であることを思い起こすならば、これは簡単に正しいと言い切れぬことであることがわかるであろう。
それはなぜか。
一番大切なことは、先生自身の態度や「判断」そのものが、その後の子どもの行動に影響を与えている、ということなのである。
先生が「観察」しようとするとき、先生のあまりにも客観的で冷たい目を感じとった子どもは、もっと自由に動きたくとも、身がすくむ思いがして動けなくなったのではなかろうか。
あるいは、発達テストにしても、先生のあまりに厳しい態度に押されてしまって、この子は平素の力を十分に出せなかったのではなかろうか。
そして、先生がこの子に無理強いをしないと決めたことは悪いことでなかったにしろ、結局のところ、それは先生がこの子を放棄してしまったことになり、先生が自分を「見棄てた」と、この子が感じたとしたら、その後の結果がよくなかったのも当然である。
つまり、先生は「科学的」に予測を下し、それは正しかったと思っているが、その「科学的」ということを疑ってみる必要があるのではなかろうか。
物を対象とする場合と、人間を対象とする場合は異なると述べた。
どのようにそれは異なるのか。
まず第一に、対象が一定不変ではなく、子ども自身が創造の過程そのものである、ということである。
まず、この子にテストをするにしても、臨床心理の専門家ならもう少し慎重にするであろう。
園にも慣れていないときに先生が直接にテストをすることが、今後に悪い影響を与えないかどうかについて考えてみることだろう。
これはテストは「常に」悪いと言っているのではない。
事実、絨黙症の子がテストのときにはじめて口を開いた例を、私は知っている。
しかし、そのときは、先生がこの子を調べてやろうという態度ではなく、何か手がかりがつかめないだろうか、少しでもよいことを発見できないだろうか、という態度でされたときであった。
このようなときは、そのような先生の態度に支えられ、そして発達テストという課題が与えられたため、その子は思いきって発言できたのだ。
あるいは、動作性のテストをしても、その結果として出てきた指数のみに頼るのではなく、その子がどのような態度でテストに臨んだのか、あるいは、テスト中に特に関心をもったことはなかったか、などについてよく知ることが必要である。
確かに観察は常に必要である。
しかし、その観察の目が冷たいものであってはならないのだ。
子どもは創造過程そのものだ。
大人が子どもに対する期待をもち、むやみな干渉を行わないかぎり創造過程が進行する。
このことの例として、ある先生から聞いた絨黙症の子どもの感動的な話を、すでに発表したことだが、述べてみょう。
絨黙の子を先生がよく「観察」しているうちに、先生はその子が小動物を好きなことがわかった。
暖かい観察の目は、何らかの創造の芽も見逃さないものである。
先生は園のなかに水槽を入れ、いろいろな魚などを飼い、特に一匹の小亀の飼育をその子の担当にした。
先生がこの子に無理強いをしてものを言わせようとしなかったことは、先の例と同じである。
しかし、この先生は子どもを見棄てていない、この子にできる仕事を見出しているのだ。
子どもは小亀を大切にした。
先生の気持ちが他の子どもたちにも感得されたのであろう。
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